人はなぜ「美しい」がわかるのか

 

最近ニュースでよく流れてくるあの事件。

韓国の言い分や昨今のいざこざを見ていますとね、

美容師的に言わせて頂けるなら、

「美しくない。」と感じているのですけれども、

毎度あのような感じになっちゃうのは、

まあ、お国柄なんでしょうかね。ということにしています。

さて、今日は、こんな本を読んでおりました。

 

私は美容師ですので、

おそらく、一般の方よりは「美」についてことさら考察する機会が多くあります。

 

例えば、小さい子どもから

「びようしってなに?」

そのように聞かれたときに、

「パーマネント・ウェーブ,美顔整髪髪結い,化粧,全身美容などを職業とする技術者。日本では 1957年に制定,95年に一部改正された美容師法によって,美容師資格試験 (国家試験) に合格した者に資格が与えられる。受験資格は厚生大臣の指定した美容学校 (美容師養成施設) で,本科2年,夜間2年,または通信教育過程3年を終えた者が取得できる。(https://kotobank.jp/word/%E7%BE%8E%E5%AE%B9%E5%B8%AB-121266 より )

という人のことだよ。

と答えても、ちんぷんかんぷんになるだろうし、

「人をうつしくするお仕事だよ」といっても、

「うつくしいってなに?」となるでしょうし。

 

「美しい」を理解し、合理的で理性的に判断として美しさの優劣を

誰もが納得するような客観的事実に基づいて説明できる人は、

なかなかいません。

きわめて抽象的な感情であって、正否のつけがたいものであることですよね。

 

「お…。」とか、「あっ…」とか、思わず息をのんでしまい

時間が止まるような感覚に陥ってしまう。

でも、うつくしいを理解し、判断が付いたところで

直接的には何の関係のないもの。

美しさとは、その程度のものです。 とされております。

 

まったくもって、つかみどころがない。

 

例えば愛知県の海をみて、

「海だー。綺麗だなー」という人もいれば、

「いや、愛知の海なんて全くきれいじゃない、本当の海というものはーーー」つってミソをつける人もいるでしょう。

そういうものですよね。

 

たまにこうして、つかみどころの無いものについて

考えながら癒されております。

 

こういうのを、美しいと感じる人もいるってんだから、ほんと人間て、不思議ですよね。

 

でもなんか、

わかる。

 

 

 

 

 

 

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