小牧長久手の戦いで葬られた古参

 

本日の営業前に

数年ぶりに犬山城と小牧山に行ってきました。

犬山の天守まで入閣したの、たしか小学生のとき以来です。

 

小牧長久手の戦いの折に

大坂から豊臣秀吉が入城した犬山城。

先手を取って、小牧山城に陣を張った徳川家康の戦いが有名ですけれども、

 

小牧山のぼったことがある方ならお分かりかと思いますが、、

小牧山を先に取った時点で、家康の勝利は決まったようなものですよね。

 

尾張の平野は、隠れることができないほどの超平地。

美濃の岐阜城まで見え見えです。

 

そのド平地のど真ん中に、なぜか突き出た小牧山。

あそこからはちょこっとした動きをみせるだけで敵がどのように
攻め入ってきてるか一目瞭然。絶対、勝てんて。

 

昔から、解せないことがありまして、

この合戦中に、秀吉側についた池田恒興と森長可が
犬山を離れて、家康のいない岡崎城を急襲する作戦を実行するための行軍途中、

その行動に気付いた家康軍に襲われて長久手あたりで討ち死にした。

 

と史実ではいわれておりますけれども、

あれ、

 

秀吉の謀のような気がするんですよね。

二人とも、織田家古参の武将ですし、

 

歴史の中では「私に行かせてくだせえ」と秀吉に直訴して
秀吉は渋ったけれども、池田恒興が再三、その作戦実行を熱望して秀吉が許可した。となっておりますけれども、

 

秀吉にとっては、織田信長の死後、後継者として名乗りを上げているくらいですから、

どちらかというと、

織田家武将の中でもずっと政権を支えてきていて
そのうえ、強さがだいぶヤバめの池田・森の両氏には

「死んでくれた方が、あとが楽。」と考えてたんじゃないかと

推測してしまうんですよね。

 

いくら豪勇な武将であったとしても

あらかじめ秀吉から家康陣営にリークしておいて
目の届かないあたりのところで、前後と横から突いてしまえば、ひとたまりもありませんし。

で、

この戦い後に、勝った家康と負けた秀吉が和睦して、

戦が長引いたとはいえ、
なぜか勝った家康がすんなり秀吉の配下になるというのも不思議。

 

先代からの、力のある古参幹部を謀殺する。

そういう人って、いる。

 

この本を読んで以来、
そういうものの見方になりました。

 

 

漫画版も、出てます。

 

 

 

 

 

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