男性が男性とキスするのを見たとき、たいていのアメリカ人は、隠れた脳が植え付けた先入観によって、これは男同士のすることではないと感じる。もちろんそのような潜入観を抑えつけて、無関心を装うことはできる。しかし多くの問題を処理していたり、プレッシャーにさらされていたり、あるいは忙しかったりするときは、反射的に物事を結びつける隠れた脳を抑えるのが難しくなる。そのようなときこそ、隠れた脳が迅速に出す結論が、大きな力を持つ。他の状況、たとえば私たちがある人の仕事ぶりを評価するとき、その人が男同士でキスするのを見ていたら、仕事に適していないと思ってしまうかもしれない。このとき私たちは、隠れた脳に操られて結論に飛びついたことに気づかない。
ここで、”私たち”という言葉を使うときゲイの人々へのバイアスが自動的に生じる。私は本当に「ストレートもゲイも含めた」すべての人という意味で使っているが、黒人の子どもがプラスイメージの言葉を白人の顔に結びつけるように、ゲイの人も”私たち”という言葉を、無意識にストレートの人に結びつける。これは驚くにはあたらない。ゲイの人でも、現実の生活、テレビ、本などでは、ゲイの家族よりストレートの家族を目にすることが多いだろう。隠れた脳が繰り返しによって学ぶならば、ゲイでもストレートでも、それほどの違いがあるとは思えない。
この研究によって浮かび上がってくる構図は、偏見についての従来の考え方とははっきりした対照をなしている。幼児のバイアスは、偏狭な両親や教師から悪口を聞かされたり、教え込まれたりして形成されるものではない。私たちの頭の中には、二つの学習システムがあり、その二つが別々に発達したこと、私たちはそのうちの一つにほとんど注意を払っていないことの表れなのだ。この社会では、意識的な脳だけが重視されていて、教育的、法律的な活動も、意識的な脳に働きかけるものばかりだ。多文化を謳い、ゲイのシンボルであるレインボーフラッグを掲げる学校はある。他人の立場を思いやり、理解することの大切さを説く組織のリーダーがいる。人種差別犯罪を罰する法律がある。偏見は意識的な目的や憎しみから生じるもので、主に無知が原因である。教育は、そのような無知を克服するために必要なのだという信念に基づいて行われている。
しかし、フランシス・アブードの研究から分かる通り、その信念は根本的なところで間違っている。ハロルド・ナパー小学校の子供たちは、白人が黒人より優れていると教師から教わったわけではない。学校は他人に寛容になることを、なんとか何とか子供に伝えようと力を尽くしている。決して偏見を植え付けようとしているわけではない。しかし子供たちには、意識的に教えられるものと、無意識に学んでしまうものがあるのだ。
『隠れた脳 〜好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学〜 シャンカール・ヴェンダム著』
「バイアス」は偏りや、偏見、思い込みのことですけれども、
人間には「無意識に働く」脳の部位があって、その脳機能を効率よく使用することによって、
危険や失敗を回避しているということですね、
赤ん坊が両親に抱きかかえられていて、
「あー可愛い、私にも抱っこさせて」といって他人である人の「顔」を認識した途端に泣き出す。
ああいうのも、生まれ持って人間に備わった危険回避の能力なのだそうです。
差別がいけない。人を見た目で判断してはいけない。というのはあくまでも有意識で共有されていますけども、
実際には無意識レベルで、好きか嫌いか?敵か味方か?正しいか悪か?かどうかを判断していると、そういうことですね。
アフリカの地で、
アフリカ人が日本人と中国人と韓国人の見分けがつくかっていったらつかないでしょうけども、
アフリカのルワンダで大量虐殺がありましたけれども、
ツチ族をフツ族の見分けって、我々日本人にはなかなかできないと思います。
でも、フツ族はツチ族を見分けて虐殺していますよね、
顔の見た目でわかるんだそうですよ。
*この映画のサントラ、オススメですよ。
この外の世界の人から見ればどうということのない違いでも脳は差別や区別を無意識に(ルワンダの場合は違いますが) 行っているんだそうです。
学生の中でもファッションや髪型なんかで区分けされていたりしますよね、自然と。
「イケてるグループ」と「そうでないグループ」みたいな。あれは発達心理学の分野で説明がつくそうです。