タイトルをかたっぱしから総ナメにしていたあの頃

 

こうみえて幼稚園の年中の頃から、

絵を描くことに没頭している子どもでした。

 

理由があります。

母親が、みんなが帰る時間になっても、

日暮れ時になりみーんな帰った後も、

迎えに来なかったからです。

親がなかなか迎えに来ない園児は自動的に職員室の片隅で

ひたすら親を待つことになるシステムだったのですけれども

職員室で先生が「お母さんまだこないねえー」なんて言ってくれるんですけれども、

私は先生の仕事の時間はもう終わったのだから情けを受けるなど、もってのほかだ。

ましてやうちは弟もいるから、出来るだけ迷惑をかけてはなるまいて。

そう考えて、

いつも黙って職員室の片隅で、おとなしく絵を描くことに没頭する。

そういう幼少期でした。

 

 

そして先日、

実家の自分の部屋を掃除しておりましたら

 

おお。懐かしい。

 

小学校から中学校時代にもらった

写生展や絵画展の賞状がわらわらと出てきました。

 


私のつたない人生の中の、過去の栄光です。

 

母親が迎えに来なかったおかげで、

小さいころから美術が得意になりました。

絵のコンクールがあるときけば、片っ端から賞を獲りにいってました。

そして月日を重ねて、

いま、こうして美容師として仕事をしていると。

 

いまこうして美容師をしている自分のルーツといえるかもしれないな、

と、しみじみ感じた次第です。

 

 

が、

話はここで終わりません。

 

ふつうだったら、

美談のように

「そんなに遅くまで働くお母さんだったんだね。えらいね。感謝だね。」

 

って、

なると思うじゃないですか?

違うんですよ。

うちの母は。なぜなら「専業主婦」だから。そのセンは、ないんです。

 

弊母親が、

幼い私と弟を遅くまで迎えに来れなかった理由。

 

それは、いつも決まっていました。

 

 

近所のおばさんとの、

定例・井戸端会議に出席の為。です。

「あの奥さん、ああみえてーらしいわよ?」

 

私の母親は、

いつもばつの悪そうな顔して

日の暮れた幼稚園に迎えに来ていました。

 

「ごめんごめん。○○さんと、ちょっと、話こんじゃってえ。」

「・・・・軽。」

とまあ、

そういう母親でした。

 

 

「今の時代だったら、軽く虐待やぞ。」

そう母親と話をしますけれども、

本人は自覚があるんだかないんだか、よくわかりませんが。

 

 

あ、なんか思い出したらちょっと腹たってきた。

 

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